2020年02月
2020年02月22日
ミシンで縫うことを生業としているのに、どうして手縫いの教室を?
ものづくりをもっと自分(も含めたひとりひとり)のふところ近く、手のうちに引き寄せたいと思ったからです。ミシンに縛られることのない、あらゆる制約から自由なものづくりをしたいという気持ちが強くなってきたのです。
ミシンはとにかく便利だし正確だし、なにしろ早い。でも制約もある。構造上できないことも多い。1台あればオールOKというわけではない。自身の発想がミシンの限界に縛られることも結構あったりする。
加えて、常に僕の言うことを聞いてくれるわけではない。ヘソを曲げることもしばしば。そして突然壊れる。
長年、あたまの片隅に「ミシンが壊れたらどうしよう」「2階の水道管が破裂して階下にある工房の機械が水没してしまったらどうしよう」(←実際本当になりかけた)
「災害でミシンはおろか他の設備も使えなくなってしまったら…」
というぼんやりとした不安をかかえながら仕事をしてきました。今もそうです。独立当時お世話になったミシン屋さんもほとんどが廃業。何かあったときに頼れる所はどんどん減っていく。
「機械に頼ることを極力へらせば、そういった心配から少しは自由になれるのでは」と思うようになってきたのにはこのような事情がありました。
できるだけ余計なストレスや制約のないなかで創作し続けていきたいなあと。
翻って手縫い。
たしかに時間はかかる。手間もかかる。
でも、手縫いであれば、糸と針とわずかな道具さえあればなんとかなる。そして、いままさに自分はモノをつくっているんだ!ということをより強く体感することができる。それが僕にはとてもたくましく、輝いて見えるのです。なにかこう、可能性を感じるのです。
その魅力を革小物手縫いの会を一人でも多くの方と共有できたら。すべてはみなさんと一緒に少しずつ歩んでいけたらと思っています。
ひとまず場を作るための準備はしましたが、これからこの会がどんな方向に育っていくのか、当の本人にも全くわかりません。ガラッと変わる可能性もあります。とてつもなくスリリングです。笑
その辺りも踏まえた上で、それでもこのタイミングだからこそぜひ参加してみたい、と考えてくださる方からのご連絡、お待ちしています。
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2020年02月20日
うまくキレイに作りたいと思うのはいいことだし、むしろ自然なこと。でも、キレイに作らなきゃ、◯◯しなきゃ、っていうのはいらない。眉間にしわ寄せて、からだを硬くして、ちぢこまって。そんなところからは何も生まれない。
とにかく楽しむ。
それ以外はボケてたっていっこうにかまわない。写真もそう。逆にそっちの方が雰囲気のあるものになったりするじゃない。暖かみが感じられたりするじゃない。それでいい。それがいい。
作ることを通して豊かな気持ちを味わうことが何よりも大事。
僕たちはなにも四角四面な工業製品をつくろうとしてるわけじゃないのだから。
とにかく楽しむ。
手を動かすことを楽しむ。考えることを楽しむ。そこだけにピントを合わせて。
作ることを通して豊かな気持ちを味わうことが何よりも大事。
僕たちはなにも四角四面な工業製品をつくろうとしてるわけじゃな
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2020年02月19日
2020年02月16日
2020/02/16 18:400
「自社製の物は自分では使わない」
「自社製の食品は家族には食べさせない」
「自社製のクスリは身内には飲まさない」 …などなど挙げればキリがない、よく聞く話。いわゆるあるある。妙に説得力があるが、なんともおかしな話。
自分が作った物を使わないなんてありえない
。自分が使いたいものをつくる。人様に喜んでもらえるものをつくる。これが大前提。
そもそも、自分が納得いかないものを「いい商品でしょ」「これいいですよ」とやることに違和感を感じて会社勤めをやめたわけで。
もちろんTPOやそれに見合った用途というものがあるので、自作のもので常に身を固めている訳ではない。が、とにかく「自分が使いたいものを作る、使ってみたくなるもの、わくわくしそうなものを作る」これが全て。それができてからの、というかそれができて始めて「あの人に喜んでもらえるもの」「この人の役に立ちそうなもの」となる。
いろんな考えがあるとは思うけど、少なくとも僕はそうありたいし、そうあり続けたい。
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